金沢星の会へようこそ

★ 金沢星の会について

  「金沢星の会」は 昭和28年(1953)7月7日に 大和デパートで最初の市民観望会を
  開いたのを最初に、星好きな仲間たちが集まって活動しています。(*1 
  石川県の金沢市を中心に学生から社会人まで数多くのメンバーで構成されています。
  発足から半世紀がすぎ金沢から見える星空も随分と変わりましたが、
  「金沢星の会」はまだまだ元気に活動しています。
 

 

   夜空の美しさを味わい 多くの人とその楽しみを共有するためにこの会はあります。
  会員の参加資格は金沢に縁があり星が好きであるということだけです。
  興味を持たれたならば、是非一度例会を見学にきてください。
  歓迎いたします。

 

  主な活動は以下のとおりです。

   ・月に一度(原則第二日曜)開催される例会の場での情報交換
   ・天体観望・観測会の実施
   ・メーリングリストによる情報交換
   ・各地で開かれる天体観察会などの協力
   ・観測合宿・勉強会の実施
   ・会報「COSMOS」の発行(不定期)


 ☆年会費(会費は総会にて決定します)
    一般会員:¥2,000     学生会員(高校生以上):¥1,000

         注:入会資格は原則として高校生以上とさせていただいております。

  

  ☆役員など 

    ・会 長 : 米林 俊    
    ・事務局 : 岡本 正樹    
    ・会 計 : 洲崎 勉   
    ・監 査 : 池端 弘久        
    ・Web担当: 山川 博           2021.4.11改選

 

 

 

  ★連絡先

   下記のフォームにてご連絡ください 。
   また、直接 例会出席いただいても結構です。


お 問い合わせ入力フォーム

 

   ホームページに関してはこちら to:  
そして事務局はこちらになります 
      

 

注記 *1)現在の金沢星の会が発足する以前、1925年頃から青山兵吉先生を筆頭とする
      メンバーにて「金沢星の会」という名前で天文活動が行われていました。
      戦争の激化に伴い、青山先生の「金沢星の会」は活動を中断することになります。

      1952年に金沢大学理学部で観測を行っていた川島武・葛城洋子・小池田忠蔵に
      より市民に天文現象を広く普及するための活動をする倶楽部が発案され準備に
      入ります。そして、戦前の「金沢星の会」から 会長に丸谷栄一氏、 顧問に
      青山兵吉先生を迎え、1953年7月7日に大和デパートで第1回公開観測会を
      行うことから活動を開始しました。

注記の補足) 金沢星の会機関誌創刊号(1958年3月20日)から一部引用します。

「会誌によせて 星の会会長 丸谷栄一
  金沢星の会 私にとっては実に懐かしい名前である。もう年代もはっきり覚えていないが、かれこれ30年近くは経っていると思う。
 その頃はアマチュア天文家と云われる人は数える程しか居なかった時代であった。
 当時流星観測がやかましく取り上げられていて、大阪毎日新聞が全国のアマチュアから取材して記事を書く可く金沢へも呼びかけて来たので青山先生が主体となられてアマチュア天文家を集合させて第一回の連絡協議会を開きました。集まった人々は7,8名程度だったか?
 私の記憶には青山先生と池亮吉さん(現在アメリカ文化センターの主事)位しか覚えていない。その時に始めて金沢星の会を結成し、青山先生が会長となられたのだった。
 その後戦争のために、いつとはなしに中断していた。さて終戦後、小中学校の教材に初めて天文の話が載せられた時に、一番困られたのが小中学校の先生方であった。教材・星図位はどうにか揃ったが実施になると大空のどこにどの星が有るのやら皆一概にに難儀をして居られたのだった。そうなると私のこれ迄、天を覗いていた結果が公然と世間から認められ、小中学校の先生方の理科部会などから講師として招かれたりして一躍にして天文学者?の尊号を奉られた事もあった。
 いよいよ昭和27年のある日、小池田君及び川島先生が星の会を、つくろうという訳で青山先生にも御出馬をお願いして現在に至って居ります。
 その後は皆さんご承知の如く、小池田、川島両先生の日夜の御努力により先般来の輝かしい成果をあげ得られたのであります。
 若生又何をか云わん!只々感激あるのみ!金沢市民天文台(仮称)もようやく建設の見通しがつきましたが、私共は出来得る限りの努力をして実現に邁進しようと思います。
 皆さんの金沢星の会としての最大なる功績を後世に残すために!  終り」


「星の会 発足のころ 小池田忠蔵
  戦後再発足してからもう五年になりますが、その頃の事情を少し書いてみたいと思います。
当時理学部の学生だった清原君、内地留学で理学部で研究しておられた川島先生、教育学部の学生だった葛城さん、それに助手をしていた私達が、理学部にある 5.8cm 屈折(五藤のウラノス号)や、工学部の望遠鏡を中心に太陽の黒点や、星食の観測をはじめ、読書会をしたり、望遠鏡の作成等割合自由にそして内わに天文活動をしていました。その中に何か同好会のようなものを作ったらどうだろうと話し合うようになり色々相談の末、1953年7月7日の夕方を期して第一回の公開観測会を大和屋上で開くことになりました。その頃は今と違って天文にあまり世の関心もなく、主として小中学生が戦戦として習う位でしたので、集まったのは小中学生が五十人程と、大人の方が七,八人だったと思います。ところが夕方から雨が降り出し、観測会変じて幻灯会となり、月の話や、七夕の伝説、四季の星座などをかわるがわる説明し、今後観測会を度々開催することを約して散会しました。
 それ迄は、お互いに気の向くまま観測してきたのを、とにかく一つの会を作り、これを運営して行くとなると,何かと思わぬ困難に当面し、迷ったことも度々ありました。それでも当時次の二目標を定め励まし合ったように思います。それは、一般に広く天文の普及に勤める事と、もう一つは、より高度の観測や、勉強を続けていく事です。これは今も変わらぬと思います。この上は金沢に天文台が建設され、さきの二つの目標に一大飛躍をもたらす様切に希望して筆をおきます。  (工芸高校教諭) 」